婚礼準備
この婚礼が決まって大喜びの斉彬。
しかし、将軍に嫁ぐとなれば、その準備も大変です。
衣服は京の西陣で織らせ、かんざしは職人を邸宅に招いて作らせる・・
斉彬は自ら指示を出し、惜しむ事なくお金を使っていました。
優しい心遣いもありました。
薩摩らしさです。
薩摩切子、薩摩焼、桜島の描かれた絵などなど。
篤姫にとってはかけがえのない故郷を思い出させてくれる品々です。
この婚礼準備には、若き日の西郷吉之助(隆盛)もかり出されています。
薩摩藩をあげてのこの婚礼ではありましたが、あまりのお金の使いように、斉彬と親交が厚い松平慶永は心配になってこう言いました。
「お金を使いすぎではないですか?」
斉彬は笑ってこう言うのです。
「なぁに、お金がかかるのは当たり前だよ。なにも餓死するほど使うわけじゃないんだから。」さすがは斉彬。太っ腹ですね。
幾島
ここで一人の女性を紹介しなければなりません。
幾島です。
近衛家では篤姫の大奥入りの際の、お付きの女性達を選定していました。
そこで名前があがったのが幾島だったのです。
彼女はもともと、篤姫の養父近衛忠煕の正室郁姫の侍女として京にのぼりました。
名は藤田と名のっていたようです。
しかし郁姫が亡くなると、得浄院と称し、そのまま京に留まっていました。
篤姫のお付の老女として抜擢された彼女は、幾島と名を変え、安政4年の4月14日に江戸の薩摩藩邸に入りました。
幾島は顔にこぶがあり、こぶと呼ばれていたと言われていますが、大変なしっかり者でありました。だからこそ、抜擢されたのでしょう。篤姫も頼りにしていたはずです。
東京や大阪で開催されている天璋院篤姫展では、この幾島の書状がいくつか展示してありました。
彼女の力強い筆跡を見ていると、その意志の強さや頼もしさが伝わってくるようでした。
再び養女となる
婚礼が内定すると、篤姫は再び養女となる必要が出てきました。
将軍家に嫁ぐからには、それにふさわしい家柄でなければならないのです。
1856年(安政3年)7月7日。
京の近衛家の養女となりました。
11代将軍・徳川家斉に嫁いだ島津家の姫・茂姫(広大院)も同じく近衛家の養女となっています。
こうして篤姫の新しい養父は近衛忠煕、養母は郁姫となりました。
新しい名も決まりました。
「敬子(すみこ)」、君号は「篤君」です。
養母の郁姫は、島津斉宣(篤姫の実父・島津忠剛の父)の娘で、島津斉興(斉彬の父)の養女として近衛家に嫁ぎました。
少しややこしいですが、郁姫は忠剛の妹にあたり、篤姫の叔母にあたるのです。
しかし、残念なことに郁姫はすでに亡くなっていました。郁姫が生きていれば、この婚礼をとても喜んだことでしょう。
婚礼決定!!
1856年(安政3年)を迎えた島津斉彬は、篤姫の婚礼の話が少しずつ進み始めていることを感じていました。
その予感は大当たり。
その年の2月28日。斉彬が登城すると、老中阿部正弘から一通の書状が手渡されました。
篤姫の婚礼が正式に内定したのです。
島津家に縁組の話がきてから6年、篤姫が江戸に来て3年と4ヶ月。
19歳で薩摩から旅立った篤姫は22歳になっていました。
思えば長い道のりでした。
ペリー来航、12代将軍の死去、大地震。
篤姫が御台所になることに反対を唱えるものもいました。その中の中心人物は、水戸の徳川斉昭です。
それらを乗り越え、やっと婚礼が内定した今、斉彬と篤姫はどんなに安心したでしょうか。
しかし、これからが大変です。
次は篤姫入與に向けての準備が始まるのです。
江戸の人々
芝の薩摩藩邸で生活を始めた篤姫。
彼女の周りにはどのような人々がいたのでしょうか?少し紹介してみましょう。
英姫(後に恒姫とする) 1805年〜1858年
篤姫の養母。島津斉彬の正室。
父は一橋家当主徳川斉敦、母は於弥与。
徳川斉敦は11代将軍徳川家斉の弟で、英姫は将軍の姪にあたります。
嫡子を産んでいますが、夭折しています。1858年斉彬が亡くなりと、それを追うようにその2ヶ月後に亡くなりました。
虎寿丸 1849年〜1854年
島津斉彬の五男。実母は側室の田宮安知の娘。
斉彬は、将軍家との縁組を進める一方、篤姫の養父となる近衛忠煕の娘信君と虎寿丸の縁組も進めていました。
斉彬待望の世子でしたが、6歳という幼さで亡くなってしまいました。
寧姫 1853年〜1879年
島津斉彬の娘、母は側室の伊集院寿満。
斉彬の没後、薩摩藩主となった島津久光の息子・島津忠義に、実の姉暐姫が嫁いでいましたが、暐姫が亡くなると、その後妻として忠義の元に嫁ぎました。
伊集院寿満 生没年不詳
島津斉彬の側室。養父は薩摩藩士伊集院兼珍。
斉彬の寵愛を受け、5人の子(篤之助・暐姫・典姫・寧姫・哲丸 )をもうけました。
勝姫
島津斉宣の娘。島津斉興の養女。
石見浜田藩の嫡子松平 康寿の正室。松平康寿が家督を継ぐ前に亡くなり,実家である島津家に戻りました。