側室・お志賀の方

彼女は篤姫の夫、家定のたった一人の側室でした。


その出自は詳しく伝わっていませんが、御三の間勤めから家定のお手が付き、中臈となりました。
そしてよく耳にするのは、彼女がとても嫉妬深かったと言うことでしょうか。


家定が篤姫のもとに足を運ぶと、自分のもとへはそれ以上足を運べと家定にねだったとか・・・。
まあ、これはごく自然な感情だと思いますから、彼女が特別嫉妬深かったとは思いませんが。


家定が亡くなり、彼女は「豊倹院」と称します。
江戸城開城まで大奥に留まっていたようですが、その後の彼女はあまり伝わっていません。


明治初年頃亡くなり、彼女のお墓は谷中の天王院にあるそうです。