2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

篤姫と斉彬

薩摩藩主・島津斉彬の養女となった篤姫。 斉彬にとっては叔父の島津忠剛の娘であり、本来ならば篤姫はいとこにあたります。斉彬は篤姫をいったいどのように見ていたのか、気になるところです。そして、それを斉彬に聞いた人物がいました。 松平慶永(のちの…

斉彬の養女となる

1852年(嘉永6年)3月1日、篤姫は島津斉彬の養女となりました。 3月10日には名を一子から「篤姫」「篤子」と改めました。 篤姫の誕生です。 篤姫は19歳になっていました。 その年の6月5日には鶴丸城に移り、いよいよ新しい生活がスタートしま…

斉彬の思案

御台所候補が篤姫に絞られてから、斉彬のもとにある情報が入ってきました。篤姫が家定の正室ではなく、側室にしようという話が幕府ででているというのです。斉彬は家臣達や父の斉興に相談しますが、家臣達は側室ならばと縁組に消極的になり、斉興も不満をあ…

御台所候補たち(2)

1850年(嘉永3年)秋に家定の後室探しを始めた時、島津斉彬はまだ薩摩藩主ではありませんでした。 しかし、それから間もなくの1851年(嘉永4年)2月2日、斉彬はようやく薩摩藩主に就任することができたのです。 1851年(嘉永4年)12月1…

御台所候補たち

嘉永3年秋、徳川家からこんな問い合わせがありました。 島津斉彬に年頃の娘はいないかと言うのです。 徳川家は次期将軍の御台所として、広大院の血筋を望んだのです。 しかし、この時斉彬には年頃の娘がいませんでした。 これは良い話だということで、斉彬…