2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

茂姫の話  

「もし女子の場合は一橋家に縁付けさせよ」 重豪の側室が身ごもったのです。生まれてくる子を見る前に竹姫は亡くなり、これが遺言となりました。1773年(安永2年)6月17日、重豪に女の子が生まれました。名は於篤。 1776年(安永5年)7月19…

竹姫の話(3)

薩摩藩主島津継豊の正室となった竹姫。この結婚で徳川家と島津家の関係は強いものになりました。 側室の子益之助を養子とし、結婚4年目には実子菊姫を授かります。もう不幸な姫様などではありません。 1746年(延享2年)11月7日、薩摩では後に25…

竹姫の話(2)

将軍の養女竹姫と薩摩藩主・島津継豊の婚礼話が浮上し、薩摩藩は困り果てていました。 さて、断るのに良い言い訳はないものか・・そもそも断れるのか・・ここで、一人の女性が薩摩藩の背中をポンと押します。 天英院です。 彼女はこの婚礼話を受け入れるよう…

竹姫の話(1)

篤姫より以前に、島津家から将軍家に嫁いでいった広大院。 彼女が将軍の御台所となるにあたり、当然反対の声があがりました。しかし、これを退けたのが「浄岸院様の遺言」でした。そこまでの力を持つ浄岸院とは、いったいどんな女性だったのでしょう?時は5…

篤姫、御台所候補に!!

三代将軍家光の時から、将軍の御台所(正室)は公家の娘というのが慣例になっていました。 篤姫は公家どころか、外様大名の一門家の娘です。いったいなぜ、御台所候補に篤姫の名が浮上してきたのでしょう?はじめに、家光から家定までの御台所を見てみましょ…

篤姫の家族

篤姫の故郷薩摩藩には、一門家として「越前(重富)」「加治木」「垂水」「和泉(今和泉)」の4家がありました。篤姫はその中の今和泉家の長女として生まれました。 父=島津忠剛(薩摩藩26代藩主、斉宣の7男。鹿児島城下で生まれ、9歳から20歳ま で…

篤姫の年表

篤姫の生涯を、歴史的出来事と照らし合わせて見てみましょう。 1835年(天保6年) 一子誕生 12月19日 薩摩藩今和泉家の長女として誕生。一子と名づけられる 1839年(天保10年) 一子5歳 12月14日 実父島津忠剛島津今和泉家の当主となる …

篤姫の生涯

薩摩藩の分家の姫から第十三代将軍徳川家定の御台所となった天璋院篤姫。幕末の動乱の中、徳川家の女として誇り高く生き抜きました。簡単に彼女の生涯を紹介します。 天保6年(1835年)12月19日、薩摩藩の分家である今和泉島津家・島津忠剛の長女として誕生…