再び養女となる

婚礼が内定すると、篤姫は再び養女となる必要が出てきました。
将軍家に嫁ぐからには、それにふさわしい家柄でなければならないのです。


1856年(安政3年)7月7日

京の近衛家の養女となりました。
11代将軍・徳川家斉に嫁いだ島津家の姫・茂姫(広大院)も同じく近衛家の養女となっています。


こうして篤姫の新しい養父は近衛忠煕、養母は郁姫となりました。
新しい名も決まりました。

「敬子(すみこ)」、君号は「篤君」です。


養母の郁姫は、島津斉宣篤姫の実父・島津忠剛の父)の娘で、島津斉興(斉彬の父)の養女として近衛家に嫁ぎました。
少しややこしいですが、郁姫は忠剛の妹にあたり、篤姫の叔母にあたるのです。

しかし、残念なことに郁姫はすでに亡くなっていました。郁姫が生きていれば、この婚礼をとても喜んだことでしょう。