幾島

ここで一人の女性を紹介しなければなりません。
幾島です。

近衛家では篤姫の大奥入りの際の、お付きの女性達を選定していました。
そこで名前があがったのが幾島だったのです。

彼女はもともと、篤姫の養父近衛忠煕正室郁姫の侍女として京にのぼりました。
名は藤田と名のっていたようです。
しかし郁姫が亡くなると、得浄院と称し、そのまま京に留まっていました。

篤姫のお付の老女として抜擢された彼女は、幾島と名を変え、安政4年の4月14日に江戸の薩摩藩邸に入りました。

幾島は顔にこぶがあり、こぶと呼ばれていたと言われていますが、大変なしっかり者でありました。だからこそ、抜擢されたのでしょう。篤姫も頼りにしていたはずです。

東京や大阪で開催されている天璋院篤姫展では、この幾島の書状がいくつか展示してありました。
彼女の力強い筆跡を見ていると、その意志の強さや頼もしさが伝わってくるようでした。