篤姫と斉彬
薩摩藩主・島津斉彬の養女となった篤姫。
斉彬にとっては叔父の島津忠剛の娘であり、本来ならば篤姫はいとこにあたります。
斉彬は篤姫をいったいどのように見ていたのか、気になるところです。
そして、それを斉彬に聞いた人物がいました。
松平慶永(のちの春嶽)です。彼は斉彬を大変尊敬し、親しくしていた人物です。
「閑窓秉筆」にはこのように記されています。
>>余斉彬卿ニ聞くニ、貴娘(篤姫)の御心さしハいかがといへり。卿の答へにハ、中々我々の如きものの及ふ所ニあらず、忍耐力ありて、幼年よりいまだ怒の色を見たる事もなく、不平の様子もなし。腹中ハ大きなるものと見ゆ。軽々しい事はなく、温和ニ見へて、人に応接するも誠に上手也。将軍御台所ニハ適当なり。<<
やはり篤姫は肝のすわった凛とした女性だったのでしょう。一方、人への接し方もしっかりと心得ていたようです。なるほど、このような女性ならば、名君として誉れ高い斉彬の目にとまったのも分かる気がします。